第313回 ルーキー諸君「書を買おう、部屋に戻ろう」

「何の仕事でもそうですけど、就職が決まったら、まずそこの会社の社長が出している本を読むのが普通ですよね?」。そう水を向けると、古田敦也は即座にこう返した。「(プロ野球界は)普通じゃないんですよ(笑)。社会が違うんです。僕は試合に出たかった。そのためには監督の目指す野球を理解するしかなかったんです」

第114回 プロ野球の速球王、前人未踏の160キロへの挑戦 ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太<前編>

 誰よりも速いボールを投げたい。  誰よりもボールを遠くへ飛ばしたい。  野球を始めた少年が、最初に思うことは、このどちらかである。  前者の方に魅力を感じた少年はピッチャーへの道を選び、やがてエースとして甲子園を目指し、その先のプロ野球のマウンドに夢をはせる。一方、後者の方により深い魅力を感じた少年は、ホームランに飽くなき憧れを抱き続ける。

第265回 「日本代表」を“ブランド”にしたアマ球界の名将・松永怜一

 当時はまだ公開競技だったとはいえ、オリンピックで野球の日本代表が金メダルを獲得したのは1984年のロサンゼルス大会、ただ1度のみである。  ロス五輪で日本代表の指揮を執った松永怜一は、その功績が認められて2007年1月、野球殿堂入りを果たした。

第113回 リベンジの冬へ 武蔵

「立ち技最強」と呼ばれるK−1は、これまで12回のワールドグランプリを行っているが、日本人王者はまだ誕生していない。  ナチュラルなヘビーウェイト揃いの外国人勢に比べ、日本人選手は体格的に見劣りする。一日で3試合を戦うワンナイト・トーナメントで頂上を極めるのは至難の業だ。

第264回 「金」と「銅」の違いを痛いほど知っている男 五輪日本代表・大野豊コーチ

 北京五輪出場を決めた星野ジャパンが、もし台湾でのアジア予選に負けていたら、“お友達内閣”がやり玉に上がっていたことだろう。  周知のように星野仙一監督と田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ、山本浩二守備走塁コーチは六大学時代からの親友。プロに入ってからも「セン」「ブチ」「コウジ」と呼び合う仲だった。

第112回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<後編>

 メジャーリーグで通用する条件は何か?  野茂がアメリカで成功をおさめてからというもの、こういう質問を受けることが多くなった。 「やはり、三振をとれるフォークボールがあるということですか」 「ストレートも150キロは必要ですね?」 「コースいっぱいに決めることのできるコントロールも必要でしょう」

第309回 生活の変化がもたらした国際大会の興奮

 ハラハラ、ドキドキ、ワクワク――。これがスポーツ中継が高視聴率をマークするための必要条件である。先の北京五輪野球アジア予選にはこの3つの要素が全て含まれていた。その結果が日本対韓国戦23.7%(関東地区)、28.9%(関西地区)、日本対台湾戦27.4%(関東地区)、33.3%(関西地区)――(「ビデオリサーチ」)。きょう負けてもあすがあるレギュラーシーズンでのゲームと違い、国際大会は基本的に「あすなき戦い」である。見る側も緊張を強いられる。日常生活では味わえない狂熱や絶望がそこにはある。

第262回 星野ジャパンの最大の強みは「絆」である 五輪日本代表・星野仙一監督

「うれしいというより、ホッとしたというのが正直なところ。  特に2戦目の韓国戦、みなさんご覧になられたと思いますけど、野球ってこんなに苦しいものなのかと。終わってみて野球ってこんなに楽しいものかと。選手には感謝、感謝、謝謝(シェイシェイ)と言いたい気持ちです」  北京五輪の出場切符を手に入れた野球日本代表・星野仙一監督は帰国記者会見でそう語った。

第261回 “神様、仏様”の元へ――球史に残る伝説の投手逝く

 神様、仏様、稲尾様――。「鉄腕」の異名をほしいままにした元西鉄ライオンズのエース稲尾和久さんが悪性腫瘍のため急死した。享年70。  通算276勝。1961年には日本プロ野球タイとなるシーズン42勝を記録した。15勝もすればエースと呼ばれるこのご時世にあって、42勝などという数字は今じゃ想像もつかない。

第260回 「自ら先頭に立ってガンガンやらないと」 元日本代表監督・松永怜一

「日本の球界は現場の指導者に冷たいところがあるので、(殿堂入りは)私には無縁なものと思っていた。手元から巣立っていった選手たちが、球界と社会に貢献したことが認められたのだと思う。こんな名誉なことはありません」  今年1月、特別表彰として殿堂入りを果たした元野球日本代表監督の松永怜一(76)は一言居士らしく皮肉を交えてそう語った。

第111回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<前編>

「近鉄時代のビデオ・テープを取り寄せ、動作解析をするとメカニック的に、ほとんどかわった点はない。強いていえば上半身がブレていることでしょうか……」  受話器の向こうで野茂は言った。  ニューヨーク・メッツを「解雇」になった直後のことだ。  周知のように1997年オフ、野茂は右ヒジにメスを入れた。遊離軟骨、すなわちネズミを取り除いたのだ。  しかし、術後の経過は順調で翌年のスプリング・トレーニング(キャンプ)の前には、もうキャッチボールができるまでに回復していた。

第259回 有能な投手コーチを「解任」した日本ハム球団フロントの不可解

 成果主義という観点で考えれば、ほぼ満点に近い。一軍投手コーチ就任1年目(2006年)のチーム防御率が3.05(リーグ1位)。2年目の今季が3.22(リーグ2位)。しかもチームは2年連続リーグ優勝。投手コーチとしては、およそ考えられる最高の結果を残したと言えるだろう。

第305回 「伝説の日本シリーズ」16年目の告白

 世に「怪腕」や「剛腕」と呼ばれたピッチャーは数多(あまた)いるが、「鉄腕」とうたわれたのは、後にも先にも稲尾和久さんただひとりだ。  稲尾さんと最後にお会いしたのは今年2月。金沢市で行われた食のイベントでご一緒させてもらった。ひとつ頼みごとをした。開幕前の「北信越BCリーグ」に気になる投手がいた。

第258回 無名の大男が来季の秘密兵器となるか 巨人(テスト中) アンディ・シビーロ

 来季の巨人の隠し玉なのか、それともでくの坊なのか?  最速100マイル(約161キロ)を誇るという身長201センチ、体重100キロの大男アンディ・シビーロ(31)が巨人の入団テストを受けるため宮崎キャンプに合流した。  シビーロは今季所属していたメキシカンリーグのティファナではクローザーとして30試合に登板、4勝1敗13セーブ、防御率1.83の好成績を残している。

第110回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<後編>

 同じショートでトップバッター。しかもリーグの盗塁王。比べるなと言われても比べないわけにはいかない。  ライオンズの松井稼頭央が、このシリーズではじめて笑みを見せたのは3戦目が終わった後だった。  5回表、1死満塁のチャンスで戸叶尚のストレートを左中間に叩いた。走者一掃のタイムリー2ベース。松井らしく初球を狙ったものだった。 「これだけチャンスが回ってきていながら、今までことごとく僕が潰していたでしょう。だから外野フライでも何でもいいと思っていました。今までの分を取り戻したとは言えないけど、これでやっと仲間入りができました」

第257回 「打てそうで打てない」ダルビッシュ

 日本シリーズ初戦で北海道日本ハムのダルビッシュ有が中日からシリーズ最多タイの13三振を奪った。先発全員からの奪三振はシリーズ初という快挙。  私が注目したのは13奪三振の内訳。このうちの12個が空振りで、見逃しは、わずかにひとつ。  これは何を意味しているのか。ダルビッシュのボールは「打てそうで打てないボール」ということである。

第256回 「メジャーリーグ復帰」の可能性はある! ベネズエラ・野茂英雄

 メジャーリーグのポストシーズンゲームにおいて、日本人初の勝利投手となり、ワールドシリーズ出場を決めたレッドソックスの松坂大輔がこう語った。 「野茂さんの試合結果はネットで確認しました。すべてがすごい。僕なんてまだまだ及びませんよ」

第109回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<前編>

「最初の1打席に賭けていました。転がしてしまいさえすれば、あとはヨーイドンの勝負だなと……」  惜しくもシリーズMVPは逃したものの、22打数8安打(打率・364)、1打点、3盗塁、出塁率5割の活躍で優秀選手賞に輝いたベイスターズの石井琢朗は、そう切り出した。

Back to TOP TOP