一柳はJTを率いて6年目のシーズンを迎えようとしていた。自らもセッター出身ということもあり、早くから竹下の能力に目をつけていた。 また当時のJTにはセッターが西堀育実だけしかおらず、Vリーグに昇格するためには竹下の能力とキャリアが必要だと考えていた。
米国においてモータリゼーションが始まったのは20世紀初頭である。これにより市民生活の向上や産業振興がはかられたが、当初から将来の環境汚染や広域犯罪の発生、事故の多発を懸念する声が相次いでいた。実際、そうした懸念のほとんどが現実のものとなった。しかし、だからといって再び馬車の時代には戻れない。歴史上、人類が手に入れた最先端の科学技術を手放したことは一度もない。
どんなピッチャーなのか気になっていた。甲子園で投げていた姿はかすかに覚えている。キャンプでのピッチングもチラリと見た。 しかしプロに入ってからは泣かず飛ばず。192センチの長身。「未完の大器」と呼べば聞こえはいいが、そう呼ばれたピッチャーのほとんどが「未完」のままで終わっている。
いつも毅然としておられた。しかし、その振る舞いは決して居丈高ではなかった。古武士のような人だった。しかし頑迷固陋ではなかった。 手許に1冊のノートがある。表紙には「長沼健メモ」。2日に死去したサッカー協会最高顧問・長沼健氏とのやりとりが綴られている。語録の一部を紹介しよう。
どうやらライオンズの強さは本物のようだ。5月25日現在、32勝18敗1分けでパ・リーグの首位。昨季、26年ぶりにBクラスに転落し、今季も苦戦が予想されたが、再建は急ピッチで進んでいる。
メキシコ五輪重量挙げフェザー級銅メダリスト三宅義行が噴門(食道から胃への入り口)にできた潰瘍を切除したのは32歳の時だ。「(メキシコで)銅メダルを獲った以上、あとは金しかない。兄(義信)は金を2つ(東京とメキシコ)も獲ってる」。バーベルの重量以上のプレッシャーが三宅の双肩にのしかかった。「もっと練習を積みたいのにケガもあって思うような練習ができない。そうしたストレスが原因で胃に激しい痛みが走るようになったんです。手術に踏み切る前の3年間は痛みで眠れない日々が続きました」
2007年ドラフトの高校生ビッグ3といえば、中田翔(大阪桐蔭―北海道日本ハム)、佐藤由規(仙台育英―東京ヤクルト)、そしてこれから紹介する唐川侑己(成田―千葉ロッテ)の3人である。
「あなたはもういらない」 人間、こういわれるほど辛く悲しいことはない。 自らの存在が否定されるばかりでなく、居場所すら失われるのだ。 「あのときは心も体もボロボロでした」 苦い記憶を噛み殺すように竹下佳江は言った。
商売柄、時折、スポーツ選手のHPやブログをのぞく。これは読んでいて胸がジンとした。北京五輪柔道男子100キロ級代表・鈴木桂治の「絆」というブログだ。
予想どおりと言えば予想どおりだが、セ・リーグでは阪神と中日の2強の力が抜きん出ている。 5月13日現在、阪神が24勝12敗1分けで首位、中日が21勝14敗3分けで2位。以下、東京ヤクルト、巨人、広島、横浜と続くが、3位以下はいずれも勝率5割を切っている。“2強4弱”の様相だ。
聖火のチョモランマ登頂を成功させるため、国家の威信をかけて低酸素、低温に耐えうる特殊トーチをつくることはできても、大地の鳴動を防ぐ手立てはない。
昨年12月に行われた野球の北京五輪アジア地区予選におけるハイライトシーンといえば、台湾戦でのサブロー(千葉ロッテ)のスクイズバントだろう。 7回表無死満塁の場面。日本は6回裏、台湾の主砲・陳金鋒に逆転2ランを許し、1対2と1点ビハインドを背負っていた。
プロ卓球選手。 日本でたったひとりの肩書きである。 正式に言えばレジスタード・プロプレーヤー(認定プロ選手)。日本卓球協会が86年に競技者規定を設けて以来、初めてその適用を受けた。「日本では自分ひとりしかいないでしょう。だから使命感はありますよ。いい成績を残し、賞金を稼がなければ、後に続く人が出てこなくなる。卓球のステータスを上げるためにも、自分が頑張らなければいけない」 きりっとした口調で、松下浩二は言った。
スポーツの語源については諸説ある。最も有力なのはラテン語の「deportare」。「portare」とは運ぶこと。すなわち「仕事」である。その否定形(de)なのだから「仕事をしない」。つまり「遊び」や「解放」という意味。
プロ野球に下田武三氏(故人)以来2人目の外交官出身のコミッショナーが誕生する。前駐米大使の加藤良三氏だ。 加藤氏は2006年、日本が初代王者となったWBCの2次リーグ、日本対米国戦で始球式を務めたほどの野球通。メジャーリーグに対する知識も豊富で国際的な問題が山積する今のNPB(日本プロ野球組織)コミッショナーにはうってつけの人物と言えるだろう。
「当日は大雨だったこともあり、走り終わると選手たちのストッキングが真っ黒に汚れていました。これは目に見えないものですから、具体的にどの程度かは分かりませんが、日本よりも空気が悪いのは間違いありませんね。ただ本番でマスクして走るわけにもいかないし…。ぜんそくなど呼吸器に疾患を持つ選手にとっては厳しい環境でしょうね」。中国電力の坂口泰監督の感想だ。
「名捕手あるところに覇権あり」 これが楽天・野村克也監督の持論である。 楽天には現在、藤井彰人、嶋基宏と二人のレギュラー捕手がいるが、野村によれば「帯に短し、襷に長し」――。
お家芸と呼ばれる柔道にあって、鬼門と呼ばれるクラスが男子66キロ級だった。 旧65キロ級時代含め、世界の層が厚いこのクラスで、日本人が五輪で金メダルを獲得したのは‘84年ロサンゼルス大会の細川伸二まで遡らなければならない。 一階級下の60キロ級には今回のアテネで五輪3連覇を達成した野村忠宏がいる。その野村に比べれば、内柴正人の世界での実績は、いささか心許ないものがあった。
確かに医学的な見地に立てば、そういう判断になるのかもしれない。しかし危険だからという理由で規制を設けるのは、むしろサッカーの未来を考える上でマイナスになるのではないか。ボールひとつあれば、地球上のどこでも誰とでも楽しめるのが、このスポーツの最大の魅力ではなかったのか。
顔が老けて見えるので「ジジィ」、登録名はそれをもじって「G・G・佐藤」。 さる4月8日、本拠地の西武ドームで大仕事をやってのけた。対千葉ロッテ戦、9回裏2死一塁、2対3と1点ビハインドの場面で打席に入ったG・Gは、ライトスタンドに自身初のサヨナラ2ランを叩き込んだのだ。 「マジうれしいです。言っていいですか? キモティー!」 ちなみに「キモティー」は「気持ちいい」。今ではすっかり西武ドームの人気者だ。
大相撲の決まり手に、新たに「骨抜き」なる技が加わろうとしている。 時津風部屋の力士死亡事件を受けて昨年10月に発足した「再発防止検討委員会」は14日、全53部屋の視察を終えた。日本相撲協会は同委員会の名称のみを変更して、そのまま存続させる方針のようだが、おいおい、大事なことを忘れてもらっては困る。文部科学省の松浪健四郎副大臣が協会に要求した「外部からの理事登用」はいったい、どうなったのか。
19歳3カ月での満塁弾はセ・リーグ最年少記録だそうだ。 巨人の新星・坂本勇人(青森・光星学院)が6日の阪神戦で阿部健太からレフトスタンドに満塁ホームランを叩き込んだ。打ったボールはカウント2−1からの内角低目の直球だった。
そして今年、最も変わったと思われる点はレベルスイングの時間が長くなったということである。ダウンスイングでボールをとらえにいき、レベルの部分でボールに力を伝え、最後、アッパースイングでボールを運び去る――これがバッティングの基本だが、今の松井はこのレベルスイングでの時間が際立って長く感じられるのである。
不適切とまでは言わないが、言葉に温もりが感じられない。「後期高齢者医療制度」と聞けば、該当する75歳以上の高齢者は誰だって「年寄り扱いするな」「オレたちは臨終間近ということか」と腹を立てるだろう。 世間の反応の悪さを察知した政府は慌てて「長寿医療制度」と呼称を改めたが、いかにもとって付けたようで不評を覆したとは言い難い。
まるで“抱き合い心中”を見ているようだった。 これを采配ミスと言わずして、いったい何を采配ミスと呼べばいいのか。 3月30日の中日戦で広島のマーティ・ブラウン監督が披露したのは、敵地のファンがどよめきをあげるほど不可解なものだった。