第274回 アリvs猪木、名勝負の舞台裏

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 6月26日は「世界格闘技の日」である。今から48年前の1976年6月26日、東京・日本武道館でアントニオ猪木対モハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」が行われた。それを記念して、2016年に制定された。

 

 

 私は高校2年生だったが、土曜日の午後、プロレスやボクシング好きの仲間と、学校近くの電器店でテレビ観戦した。テレビの前は黒山の人だかりだった。

 

 この試合は37カ国で衛星生中継され、世界で14億人が見たと言われている。国内の視聴率は最高で54.9%に達した。

 

 試合はお世辞にも盛り上がったとは言い難かった。15ラウンドのほとんどを、猪木は仰向けになって戦い、アリは猪木が時折放つキックを避けるようにリングを逃げ回った。

 

 試合が膠着状態に陥るのも無理はなかった。猪木はアリサイドから「立った状態でのキックは禁止」というルールを課されていたのだ。

 

 反則を避け、アリの強打を受けないためには、寝そべりながらキックするしかなかったのである。

 

 捕まえれば、勝負は猪木のものだ。しかし、たとえワンツーでも、アリのパンチをまともに顔面にくらえば、10カウント以内に猪木が立ち上がるのは難しい。

 

 互いに技をかけあうシーンは、真剣勝負では見られない。1ミリが生死を分ける接点での攻防は、なるほど「格闘技世界一決定戦」の名にふさわしいものだった。

 

 この試合の何が凄いといって、ヘビー級の現役世界王者をリングに上げたことである。アリはこの試合の3カ月後、ヤンキースタジアムでケン・ノートンの挑戦を受けることになっていた。ノートンと言えば最初の対戦でアリのアゴを砕いた男である。

 

 そうした状況を踏まえれば、アリは最初、エキシビションのつもりで来日したに違いない。しかし猪木の本気度を知り、ルールを厳格化したことでリアルファイトに応じざるを得なくなった。そして名勝負が生まれたのである。

 

<この原稿は『週刊大衆』2024年6月24日号に掲載された原稿です>

 

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