自信がないからこそ、人一倍練習して強くなった ~武尊インタビュー~

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 その激しいファイトスタイルから「ナチュラル・ボーン・クラッシャー」(生まれながらの壊し屋)と呼ばれる武尊。一昨年の那須川天心との世紀の一戦を含め、格闘家としての歩みを当HP編集長・二宮清純とともにたどる。

 

二宮清純: まずは、1月に有明アリーナ(東京都)で行われた「ONE」(シンガポールを拠点とする格闘技団体)での試合を振り返っていただきたい。当初は、ロッタン・ジットムアンノン選手(タイ)との試合が予定されていましたが、ロッタン選手のケガで大会約3週間前に対戦相手が変更。ONEフライ級キックボクシング世界王者のスーパーレック・キアトモー9選手(タイ)とのタイトルマッチとなりました。大会直前の対戦相手変更に加え、ONE初戦でのタイトルマッチ。戸惑いはなかったですか。

武尊: ロッタン選手とやりたいという気持ちが強かったので、残念ではありました。でも、いきなりチャンピオンに挑戦できる機会はめったにないし、いずれは戦いたいと思っていた相手だったので切り替えて試合に臨みました。

 

二宮: 結果は武尊選手の判定負け。試合翌日、筋断裂でどす黒く腫れ上がった左太ももの画像と歩行困難な状況をSNSで報告されていましたが、後に左膝2カ所の骨折も判明しました。痛めたのはどのタイミングだったのでしょう?

武尊: 1ラウンドです。相手のローキックをカットした時に、当たりどころがよくなかったようで……。

 

二宮: 試合中に折れたのが分かったのですか。

武尊: 踏ん張りがきかなくなったので「靭帯が切れているのかな」と思いましたが、骨折とは気づきませんでした。いずれにしても、これ以上相手の蹴りをカットすれば立っていられなくなると思い、それ以降は太ももでローキックを受けました。それで太ももを筋断裂したのだと思います。

 

二宮: それだけ相手のローキックが重かったわけですね。

武尊: プロの試合であそこまでローキックが効いたのは初めてでした。それこそ痛みで意識が飛びそうなくらい。パンチやキックによる脳の揺れではなく、痛みで意識が飛びそうになったのも初めてでした。

 

二宮: だが、そこからの逆襲がすごかった。第3ラウンドのラッシュは、KOするのではないかと思うほどでした。

武尊: 確かに、いつもだったらあのラッシュで倒せていたかもしれません。でも、膝の踏ん張りがきかず、パンチが手だけで打つ格好になっていました。

 

二宮: それでもボディーは、かなり効いていたように見えました。

武尊 相手の呼吸が止まり、うめき声が聞こえたので効いていたと思います。

 

二宮: 最終第5ラウンドは笑いながら戦っていましたね。

武尊: そうですね。最後は戦いを楽しみたいという思いもあったし、何より、1発逆転狙いの打ち合いをしたかった。それに打ち合ってアドレナリンを出し、痛みを緩和しないともう立っていられなかったんです(苦笑)。

 

二宮: ポイントでは、やはり不利だと思っていましたか。

武尊: はい。ONEは「ラウンドマストシステム」で、原則としてラウンドごとに優劣をつけます。自分が取れたと思うラウンドが1つあったので分からない部分もありましたが、全体として見れば仕方ないかなと。タイの選手は、ポイントを取るのがすごくうまいんです。

 

二宮: 武尊選手の試合といえば、那須川天心選手との試合を思い出す人も多いでしょう。2022年6月19日、「THE MATCH 2022」のメインとして行われた一戦は東京ドームに5万6000人の観客を集め、PPV(有料オンライン視聴)も50万件を超えたといいます。まさに世紀の一戦となったわけですが、実現までの道のりがとても大変だったようですね。聞けば、武尊選手自身がスポンサー企業や中継する会社などに対し、交渉を行っていたとか。

武尊: はい。自分で交渉していました。

 

二宮: 普通は団体か代理人、あるいはプロモーターが交渉するものです。

武尊: 当時、僕が参戦していたK-1と天心選手が参戦していたRISEの間には大きな壁があって、一緒に仕事をすることが難しかった。団体やプロモーターの言うことを聞いていたら、いつまでたっても実現せずに引退することになってしまうという危機感があり、自ら動きました。

 

二宮: それだけ天心選手と戦いたかったということでしょうか。

武尊: 公に言えないことが多かったから仕方ない部分はあるにしろ、「武尊が逃げている」と言われ続けるのが悔しくて……。何が何でも実現させたかった。

 

二宮: 当日、私も取材しましたが、武尊選手がリングに上がった瞬間、顔色が優れないなと感じたのを覚えています。

武尊: 減量の影響があったのかもしれません。僕は普段、60kgの契約で戦いますが、この時は58kgで戦うことになっていました。

 

二宮: ベストからさらに2㎏落とすのはきつい。

武尊: 大変でしたね。ギリギリまで脂肪を落とし、さらに水抜きして60kgだったので、そこから2kg落とすとなると筋肉を落とさざるを得ません。動物性たんぱく質を摂取してトレーニングすると筋肉が付いてしまうので、1日1食にした上で肉や魚は食べず、豆腐などの植物性タンパク質で補う生活を約半年続けました。

 

二宮: それだけ多くの困難を乗り越えて実現させた一戦、当日はどんな心境だったのでしょうか。

武尊: 試合を実現させるのに7年かかり、その間にたくさんの誹謗中傷を受けたり、契約に関するストレスがあったりしましたが、当日はもう試合をするだけなのでスッキリしていました。試合前日もぐっすり眠れたぐらいです。

 

武尊(たける)プロフィール>

本名・世川武尊。1991年7月29日、鳥取県米子市生まれ。小学2年生の頃、テレビで見たK-1ファイターに憧れて空手を始める。保育士と格闘技の両立を夢見て高校に進学するが、素行が悪く3カ月で退学。進路を格闘技に絞り、キックボクシングに転向し、修行のため単身タイに渡る。帰国後、K-1甲子園に出場するも関西地区予選で敗退。その悔しさをバネに上京して「チームドラゴン」に入門、2011年9月にプロデビュー。14年11月、念願のK-1の舞台に立ち、以降7年間無敗をキープ。15年に初代K-1スーパーバンタム級王座決定トーナメント、16年に初代K-1フェザー級王座決定トーナメント、18年に第4代K-1スーパー・フェザー級王座決定トーナメントを制し、K-1史上初の3階級制覇を成し遂げる。22年6月、東京ドームで行われた「THE MATCH 2022」で那須川天心と対戦。判定で敗れたものの格闘技史に残る名勝負を繰り広げた。23年5月、ONEチャンピオンシップとの契約を発表し、現在参戦中。今年1月、初の自著『ユメノチカラ』(徳間書店)を出版。

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株式会社第三文明社

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月刊誌「第三文明」で2010年1月号より好評連載中の「対論×勝利学」は、 二宮清純が一流アスリートや指導者などを迎え、勝利への戦略や戦術について迫るものです。 現場の第一線で活躍する人々をゲストに招くこともあります。 当コーナーでは最新号の発売に先立ち、インタビューの中の“とっておきの話”をご紹介いたします。

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